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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)3858号 判決

原告 国分寺町

被告 富士食糧工業株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

原告は「被告は原告に対し、東京都北多摩郡国分寺町大字本多新田字礼の丘四六三番ノ四、道路敷一八三坪地上の別紙目録〈省略〉記載の建物並びに工作物を各収去して右土地を明渡せ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告は主文第一、二項同旨の判決を求めた。

第二主張

当事者双方の主張は別紙記載のとおりである。

第三立証〈省略〉

理由

一  原告主張の土地と土地の交換により、本件土地が原告の所有になつたこと(交換の日時及び相手方の点を除く)及び原告主張の所有権取得登記がなされていること、(別紙記載(請求原因)第一一)、並びに被告が被告主張の様に昭和一八年末頃(当時の商号、日本航空補機株式会社)株式会社岐阜工作機製造(それ以前の株式会社東京歯車製作所が吸収合併になつたもの)より土地及び工場を買取つたが本件土地はその工場用地のほゞ中央に位する南北に長い帯状の土地であつたこと(別紙記載(被告の主張)第一、二、(一))は何れも当事者間に争がない。

二  被告は、本件土地は昭和一九年夏、交換(以下第二次交換という。)により原告からその所有権を取得したと主張する。

よつて先づ、被告主張の様に町議会の決議により右交換が行われたか否かについて判断するに(別紙記載(被告の主張)第一、二、(二)、(三))証人竹村晃一の証言並びに被告代表者本人林仁一郎尋問の結果中には右主張に沿うが如き供述が見られるが、右各供述は後記各証拠に照し、且つ伝聞による供述であることを併せ考えるとにわかに措信できず却つて証人中村当十郎、同清水為吉、同富士野勉寿、同村岡唯矣の各証言を綜合すると次の事実を認定することができる。

(一)  昭和一九年五月頃、軍から本件土地を一般人が通行することは防諜上好ましくないから適当な措置を講ずるようにとの指示があつたので右指示に基き、被告(当時の商号日本航空補機株式会社)は原告に対し当時原告が道路として使用していた本件土地(道路法上の道路であるか否かは別として)について廃道の申請をした。

(二)  右申請に基き、原告は、特に緊急を要する事案以外は直接町議会に附議することなく、先づ町の協議会(以下「協議会」という。)で問題を審議するという従前からの慣行に従い、協議会を開催し、原告の要請により被告からも当時の国分寺工場庶務課長村岡唯矣が出席して説明を行い、その結果協議会としては本件土地を廃道とすることは已むを得ないが、本件土地を廃道とすると町民に不便をかけることゝなるので、左の条件を付することゝし、右条件が履行された上で正式に町議会に附議して決定することゝした。

(イ)  被告は被告所有地(工場用地)東側に本件土地に代る道路(以下東側道路という。)を新設するための道路敷地を原告に提供すること。

(ロ)  被告は右被告所有地の南側の道路(以下南側甲地という)の幅を拡げるための道路敷地(以下南側乙地という)を原告に提供すること。

(ハ)  右被告所有地の西側にも道路を新設することゝし、そのための土地は被告において被告所有地の西側の土地所有者から買取つて原告に提供すること。

(三)  ところが東側道路及び南側乙地の各敷地の提供については何れも被告所有地を提供すればよいので、その実行について問題はなかつたが、前記(ハ)の条件である西側の土地の買取については、遂にその所有者の承諾を得ることが出来なかつたので、本件土地を廃道とする件は結局町議会に附議されずに終つた。

(四)  一方被告としては、前記の様に軍の要請による防諜上の必要があつたので、前記(三)(ハ)の条件が履行されるのをまたず、右協議会の決定があつた後直ちに(昭和一九年五月頃)仮の処置として本件土地の北側を木製バリケートで閉鎖し、南側は門柱を建て、被告工場用地入口となし、右と同時に東側道路の開設に着手し、同年一〇月頃右道路が完成し(もとより原告に対する道路敷地の提供も正式には行われていず、正式の町道ではないが)またその頃南側乙地の上に道路が開設され南側甲地の幅員が拡張された。

なお、本件土地の北側の囲いを木製バリケートでしたのは前記(三)、(ハ)の条件が履行出来るか否か不確定であつたからである。即ち被告はその頃軍の要請により防諜上の必要から被告工場用地の周囲に大谷石を入れ、生垣で囲つたが、本件土地の北側の部分については前記(ハ)の条件が履行出来るかどうか不確定であつたので、仮の処置として特に木製バリケートとしたものである。

三  被告は第二次交換が成立していることは次の事実によつても明であると主張する(別紙記載(被告の主張)第一、二、(四)、(イ)乃至(ニ))

(イ)  被告は東側道路を築造して原告に引渡した。

また、原告は昭和二九年八月頃、東側道路の一部に近隣の者が無断で作つた耕作物を取払つて砂利を敷くなど、原告の道路として管理整備をしている。

(ロ)  被告は本件土地の南北両端を本柵によつて閉鎖し、一般人の立入を遮断した。

(ハ)  第二次交換についての付帯条件についても、南側乙地の提供については実施され、西側の道路の開設については、被告としてはなすべきことを完了している。

なお、南側乙地の地下に面積六坪余の町有の地下消火用水槽を設置し現にこれを管理維持している。

(ニ)  また昭和三一年九月六日、原被告間の懇談会の席上、原告側の荒木町会議長は、第二次交換及び附帯決議があつたことを前提として発言している。

然し乍ら、右(ロ)については、これは却つて第二次交換についての町会決議が未だなされていず(前記二、(ニ)、(ハ)の条件が履行されていないため)そのため、仮りの処置として行つたものであること並びに(イ)の前段の東側道路の築造も、本件土地の閉鎖により本件土地上の道路が塞がれるため、右の閉鎖と同時に取敢えず築造したものであつて、被告主張の様に第二次交換の成立を前提とするものでないことは前認定のとおりである(前記二、(四))、

また右(イ)の後段については、証人原英三郎、同白木政太郎の各証言によれば、被告主張の様に砂利が敷かれたことはこれを認めることができるが、前記白木の証言によれば、当時町としては、町道たると私道たるとを問わず砂利を敷く等のことを行つていたものであることが認められるから、被告主張の様に砂利を敷くこと等が行われたからといつて、直ちに本件土地について被告主張の第二次交換が行われたものであると推認するわけにはいかない。証人原英三郎の証言中被告の主張に沿うが如き部分は、右白木の証言と対比するときは、にわかに措信できない。

右(ハ)なお書については、原告が被告主張の地下消火用水槽を設置したことは当事者間に争がないが、右水槽の設置場所を決定するに当り町道内を選んだことについてはこれを認めるに足る証拠はない。尤も証人槇田喜郎、同竹村晃一の各証言によれば、原告が被告主張の地点に水槽を設置するについては被告の承諾は得ていないことが認められるが、右承諾を得ていないのは、原告が被告に対し右水槽を東側道路上に設置することにつき承諾を求めた際、被告において右土地は己に原告に提供したものであるから承諾、不承諾を云うべき筋合のものでないと回答したので、南側乙地についても被告の承諾を求めても右同様の回答であらうと考えたことによるものであること、即ち、南側乙地が原告の町道であるから承諾を求めなかつたものでないことが右各証人の証言から推認できる。

(ハ)の本文については南側乙地の上に道路が拡張されたことは前認定のとおりであるがこれは第二次交換を前提としたものでないことも亦前記のとおりである。また西側の道路の開設については、被告の主張が成立つためには、被告においてなすべきことを履行した場合には交換が有効に成立するという趣旨の決議が成立していなければならないが、かような決議が存在しなかつたことも前認定のとおりである(前記二、(二))、

右(ニ)については被告主張の荒木議長の発言が必ずしも被告主張の如く解釈せらるべきものではなく、むしろ被告主張の第二次交換は西側の道路の敷地を被告において第三者から取得して原告に提供することを条件として行わるべき旨協議会において決定されたが、右土地の取得ができなかつたゝめ結局右交換は行われていないことを強調したものであると解するのが相当であることは証人竹村晃一の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証に徴して極めて明白である。

以上の理由により、被告の上記主張はいずれも理由がない。

四、次に被告は、仮に前記第二次交換に関する町議会の決議が正式適法に成立しなかつたとしても、町会本会議と外観上何等異るところがない会議において第二次交換承認の決議が行われたため、被告が交換につき町会の正式承認の決議があつたものと信じたことはまことに当然である。従つて民法第一一〇条の類推適用により原告は被告に対し交換の無効を主張できないものと解すべきであると主張する(別紙記載(被告の主張)第一、三、)のでこの点について判断するに、前記協議会の決定が原告提示の交換条件が履行された上で、正式の町議会に附議するという内容のもので、被告主張の如く、右条件が履行されると否とに拘らず承認するという趣旨のものでなかつたことは前認定のとおりであり、しかも右の協議会の決定が右の如くであることを、被告の本件土地廃道の申請について説明するため右協議会に列席していた被告会社国分寺工場庶務課長村岡唯矣において諒知していたことは証人村岡唯矣の証言によりこれを認めることができるから、仮りに右村岡において右協議会を正式の町議会と誤信したとしても被告の抗弁は、失当であると云わなければならない。

五、仮定的取得時効の主張について(別紙記載(被告の主張)第一、四)

次に被告の仮定的取得時効の主張について判断する。

被告は、被告が本件土地の占有を開始した当時善意、無過失であつたのであるから、右占有開始の時である昭和一九年夏頃から十年の経過により取得時効が完成したからこれを援用すると主張するが、被告が占有を始めた当時善意、無過失であつたことについてはこれを認めるに足る証拠はなく、却て前記認定の如く、被告会社国分寺工場庶務課長村岡唯矣は、前記協議会に列席し、右協議会の結論が前認定の様に被告において西側道路の敷地を第三者から取得して原告に提供すること、その他を条件としたもので、右条件が履行されない限り、本件土地についての廃道も行われないものであることを十分諒知していたものであり、しかも、前記二、(四)において認定した如く、被告は右条件の一である西側道路敷地の提供の実現を待たず(この条件は結局履行されなかつた。)軍の要請に基く防諜上の必要から仮の処置として本件土地の北側を木製バリケートによつて閉鎖したものであるから、被告は本件土地の占有の始め悪意であつたものもしくは過失があつたものと云わなければならない。

よつて爾余の点について判断する迄もなく、被告の仮定的取得時効の抗弁は理由がない。

六、最後に被告の権利乱用の抗弁について判断する。

(一)  先づ原告の本件土地明渡の現在の必要性について

(イ)  本件土地を道路として使用するときは、本件土地の南方及び北方に接続する二路線は本件土地によつて連結されることになる。その結果、東側道路を迂廻して、右北方又は南方の道路に出ていた者が迂廻をする必要がなくなることは自明の事である。この点は、本件土地明渡によつて得られる一般交通上の便益であるといわなければならない。

(ロ)  然し乍ら、右の様に南方及び北方道路を本件土地により連結して一本の直線道路としても、国分寺駅から北の桜堤に至る本道の副線の用をなすものとは考えられない。右副線の用をなすためには後記の様に右副線が本件土地上を通過する部分を含めて道路の幅員を少くとも一五米以上に拡げなければならないが、その為には本件土地について云えば本件土地の東西両側の被告所有地を原告が買収しなければならない。(この事実は原告代表者本人星野亮勝尋問の結果により認められる。)

(ハ)  従つて右(イ)及び(ロ)を綜合して考えると、本件土地明渡によつて得られる公衆の利便は、現在の状態(東側道路を迂廻して南方又は北方道路に出ている)と比較して差程大なるものと云うことは出来ない(右の場合東側道路の閉鎖により、東側道路に沿つて居住している住民が不便を蒙るか否かの点については一応度外視して考えた。)この事実に後記認定の原告において被告から昭和二八年九月一〇日付書面(原告の明渡要求に対する回答)を受取つた後、原告が昭和三一年七月三〇日付書面で被告に対し明渡を要求する迄の間被告が本件土地を占有、使用することを静観することゝした事情を併せ考えると、原告が被告に対し本件土地の明渡を求める現在の必要性は余りないといわなければならない。

(二)  次に本件土地明渡によつてもたらされる将来の交通上の便益について

原告は、本件土地は都市計画路線の通過予定地であり、右都市計画実施のためには本件土地の明渡が、是非とも必要である、而して右計画の実施は、現在の駅前から北の桜堤に通ずる幹線の現在の混雑を緩和するために是非とも必要であると主張する。

成立に争がない甲第一二号証の一、二、原告代表者本人星野亮勝尋問の結果により真正の成立が認められる甲第一三、一四号証に証人武部昇堂の証言並びに右原告代表者本人の供述を綜合すれば原告主張の様な都市計画があることは認められるが、右証人武部昇堂の証言及び原告代表者本人の供述によれば右都市計画は未確定のものということであり、しかも、その確定の大体の期日も未定であるのみならず、右計画が確定し道路法所定の手続を経て道路区域の決定が行われ、愈々土地、物件等の買収の段階に至れば、現実に所要土地、物件等の買収が行われるのであるが、本件土地については、その幅員を少くとも一五米以上とする必要があり、その為には本件土地に沿つた被告所有地を買収する必要があることが認められる。従つてその段階に至つて、被告に対し本件土地の明渡を求めても遅くはないのであり、しかもそれで十分である、といわなければならない。

よつて、原告主張の将来の利便のため、現在本件土地を明渡させる必要はないものといわなければならない。

(三)  原告は、被告が本件土地の北側を閉鎖した直後から再々被告に対して口頭によりその明渡を請求し、昭和二八年七月二三日には同日付内容証明郵便により右明渡を要求した。また被告が昭和三一年八月頃被告工場の増築に着手する直前にも、同年七月三〇日付内容証明郵便により明渡を求めているのみならず、その着工直後においても右工事の中止を求めているのであつて決して権利の上に眠るものではなく、寧ろ権利の行使に積極的であつたものである。(別紙記載(原告の主張)第四、(三)、(四))

これに対し被告は本件土地上の道路が右道路を廃道とすることについて原告が付した条件が履行されていないため、廃道となつていないことを十分承知していながら、原告の再々に亘る厳重なる明渡要求にも拘らず、頑としてこれに応ぜず、遂に昭和三一年八月頃に至り、本件土地に跨つて工場の増築を強行するに至つたものであつて、被告の本件土地の占有は悪意の甚しきものであり、また、本件土地を明渡すことにより被告が若干の損害を蒙つたとしても、右は被告が原告の権利を侵害することを十分承知し乍ら、敢て工場増築を強行した結果であつて、被告自ら甘受すべきものである。(前同(二)、(五)、(七))

以上の点からするも被告の権利乱用の抗弁は理由がないと主張するのでこの点について判断する。

(1)  成立に争がない甲第四号証に証人村岡唯矣、同中藤俊一、同清水為吉、同白木政太郎、同原英三郎、同曽我菊雄の各証言を綜合すると左の事実を認定することができる。

(イ)被告は前記二、(一)乃至(四)掲記の如き経過により、本件土地北側に木製バリケードを設置し、南側に門柱をたて、被告工場敷地出入口として本件土地を閉鎖するとゝもに、東側道路を開設し、南側道路(南側甲地)を拡張したが、当時原告側から右に対し何等抗議はなかつたのみならず、原告は東側道路及び南側道路を拡張した部分(南側乙地)を公道同様に使用していた。(ロ)その後昭和二二年五月、中藤俊一が町長に就任したがその当時も、本件土地について、町において何等問題とされていなかつた。(ハ)昭和二三年に至り、消防署が出来てから、本件土地が塞がれていると遠廻りをしなければならないので不便であるとの声が附近住民から起り、その後も再三善処方の要望があつたので中藤町長は本件土地明渡の問題を議題に取上げることにした。(ニ)爾来中藤町長、土木課長曽我菊雄等が口頭により非公式に被告に対し本件土地の明渡方の交渉をしたが、一部町会議員等の強い要求もあつたので昭和二八年七月二三日に至り、同日付の中藤町長名の被告宛内容証明郵便により正式に明渡の申入れをした。

証人清水為吉の証言中には「被告が本件土地の北側を昭和二三年頃木製バリケードで閉鎖すると同時に、原告は、右閉鎖に抗議した」旨の供述が見られるが、右供述は前記認定の被告が本件土地北側を木製バリケードで閉鎖するに至つた事情(前記二、(一)乃至(四))に照し、にわかに措信できない。また被告代表者林仁一郎、証人竹村晃一の各供述中の「昭和二八年七月に原告から内容証明郵便により明渡請求がある迄は原告から何も云つて来なかつた」との供述は、前顕各証拠に対比して当裁判所の措信しないところである。

(2)  次に成立に争がない甲第四号証、乙第六号証及び甲第五号証、乙第七号証の各一、二に、証人竹村晃一、同白木政太郎の各証言及び被告代表者本人林仁一郎尋問の結果を綜合すると、次の事実を認定することができる。

(イ)前記昭和二八年七月二三日付原告の明渡請求に対し折返し被告から同年九月一〇日付書面で回答があつたが、右回答の要旨は本件土地は東側道路との交換により被告が町から取得した土地であるから明渡の要求には応じられないというものであつた。(ロ)町としては右回答に接し検討の結果、前記の様に本件土地明渡の要求をなしたのは、一部強硬派の強い要求に基いたものであつたという事情も斟酌し(前項(1) (ハ)(ニ))古いことで事情がよく分らぬし、本件土地が閉鎖されてから已に既成事実として一〇年位経つており、東側道路も町で使つているのだから、当面、交通上、その他に支障はないから、当分静観しようということになつた。その後被告としては原告から何等の意思表示に接しなかつたので、本件土地の問題は被告の右回答により解決したものと諒解していた。(ハ)その後原告は昭和三一年七月三〇日付内容証明郵便により本件土地は原告所有地(道路)であるとの理由により更めて明渡の請求をした。右に対し被告は同年八月九日付で、本件土地は東側道路との交換により被告所有地となつたものであるから、原告の明渡要求には応じられない旨回答した。

証人中藤俊一の証言中に「被告から昭和二八年九月一〇日付回答書(乙第六号証)を受取つた後においても町では交渉を続けたと思う」旨の供述が見られるが、右供述部分は、不明確なものであつて、前顕各証拠に対比してにわかに措信できない。

(3)  一方成立に争がない甲第六号証の一、二、証人竹村晃一の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証に証人竹村晃一、同清水為吉、同富士野勉寿、同武部昇堂被告代表者本人林仁一郎の各供述を綜合すると、以下の事実を認定することができる。

(イ)被告は前記の昭和二八年九月一〇日付の回答後原告から何等の意思表示がないので本件土地の問題は右回答をもつて解決したものと思つていた。その後昭和三〇年一〇月頃前記バンド・オープン機械設備の設置並にこれに伴う工場の拡張を決め、右バンド・オープン機械設備を外国に発注し、資金の手筈も整い、工場増築工事も請負人に対し発注を終り工事に着手するばかりになつていた。(ロ)被告は右工事着工の直前に前記昭和三一年七月三〇日付本件土地明渡の要求に接したので、被告工場増築について諒解を求めるため町会議員等を訪問したが、その諒解を得ることができなかつた、その後被告は予定どおり工事に着手し、間もなく右工事は完成した。(ニ)その後同年九月中旬町側と被告との懇談会が開かれたが、右懇談会は物別れとなつた、また、その後において地元工業会の役員が仲に入つて話合がなされたこともあつたが、これも不成功に終つた。

(4)  前段(1) 乃至(3) において認定した事実、特に

(イ)本件土地が閉鎖された後、昭和二三年頃迄の間においては、本件土地については原告において何等問題としていなかつたのみならず東側道路を本件土地の代りに町道同様に使用していたこと。

(ロ)その後原告は一部町会議員等の強い要求もあつて昭和二八年七月二三日付内容証明郵便により、中藤町長名で被告に対し本件土地明渡の請求をなし、右に対し被告から同年九月一〇日付書面により本件土地は被告が東側道路との交換により原告から取得した土地で、被告の所有であるとの理由により拒絶の回答に接したが、原告は、前記のような理由から当分静観しようということになつたものであること。

(ハ)その後昭和三一年七月三〇日に至り再度書面による明渡の請求をなしたが、その間は原告から被告に対し、書面によつても口頭によつても、本件土地明渡に関し、何等の意思表示をしていないこと。

(ニ)被告は本件土地に跨つて工場の増築をしたが、右増築の計画は、原告が昭和三〇年七月三〇日付内容証明郵便を発する約九ケ月前である昭和三〇年一〇月頃に計画を決定し、右決定に基き、諸準備を進行し、右明渡要求に接したときは、既に工事着工直前であつてこれが中止は事業経営上少なからぬ苦痛を感じさせるものであつたこと。

以上(イ)乃至(ニ)の事実を綜合して考えると原告は必ずしもその主張の様に終始被告に対し本件土地の明渡を要求していたものとは云えず、寧ろ本件土地の明渡を求めるか否かにつき原告側内部に意見の対立があつたこと等の事情から、昭和二八年九月一〇日付被告の回答書に接してからは、当分の間、現状の侭静観することゝし、東側道路も、その後も原告において従前どおり使用しており、従つて被告が前記工場の増築を計画し、実行したのは原告主張の様に原告の権利を侵害する積極的意図に基くものとは認められないが、被告としては、被告主張の工場増築工事の如く、一旦着手した以上、これを被告工場敷地の他の部分に移転する等計画を変更することが不可能な計画にあつては、その計画に着手する以前に、たとえ、被告の前記昭和二八年九月一〇日付回答後原告から何等の意思表示なく、且つ、東側道路は依然として従前どおり原告において使用していた等のことがあつたとしても、被告の右回答を諒承した旨の回答もなかつたのであるから、本件土地の所有関係等につき原告の真意を確かめるべきであつたのであつて、このことを為さなかつた被告には重大な過誤があつたことは否定することができないというべきである。

(四)  以上(一)乃至(三)を綜合して考えると、被告が原告の真意を確めることなく本件土地上に跨つて工場を増築したことは遺憾であるが、本件土地明渡については将来原告主張の都市計画路線が確定し、右路線のうち、本件土地上を通過する部分につき道路法の規定に基き、道路区域の決定、その公示等が行われ、本件土地の幅員を拡げるためその隣接地の買収等が行われる段階に至つた場合は格別、右都市計画路線の認可すら行われていない現段階においては、右明渡によつて得られる交通上の便益は極めて小であるから、その必要性も極めて小であるといわなければならない。況んや被告が本件土地を明渡すときは、被告工場の本件土地上に存在する部分を収去するのみならず、被告主張のバンド・オープン設備をも廃止する必要があるのであり、そのことによつて生ずる被告自身の損害は兎も角としても、その社会的損失を併せ考えるときは、現在、原告が被告に対し本件土地の明渡を求めることは、所有権に基く明渡請求権の客観的範囲を超えるものといわざるを得ない、このことは仮に原告主張の様に本件土地が道路法に基く正規の町道であつたとしても同様であることは、上来縷述したところにより自ら明である。

けだし、原告が昭和二八年七月以降も本件土地を道路として使用する必要を切実に感じてはいなかつたことは上来認定の交渉経過に徴し明らかであり、さればこそ被告に対し即時明渡を求めることにつき原告の内部に意見の対立があつたのである。しかも右必要性の強弱は現在においてもさほどの変更はない。加うるに、右の意見対立が生じた所以を検討してみると、約一〇年にわたる既成事実の尊重ということが少なからぬ比重を占めていたことが理解される。このことは当時原告が本件土地使用の必要性を痛感していなかつただけでなく客観的にもその必要性が乏しかつたことを物語るのみならず、被告としては原告から内示された廃道処分の条件の大半を事実上実行し原告はこれによる利便を享受してすでに一〇年近くを経ているのであるから、前記都市計画路線が具体化する以前にあつては(その具体化が昭和三二年頃であることは原告代表者星野亮勝の尋問の結果及び前顕甲第一四号証により認定できる)たとえ防牒上の必要を理由とする軍の要請という動機が消滅しているにもせよ、既成事実を尊重し被告をして残余の条件を履行させた上廃道処分を行うことも決して不可能もしくは妥当性を欠く措置ではなかつたこと従つて原告が当分の間静観の態度に落着いた理由の中に右のような見解が参酌されていたであろうことは十分推測し得るところであつて、このことは右計画路線が具体化した今日においても該計画の確定をみるまでの間は何等変化はなく、その実施に至るまで被告をして地上の施設を利用して収益をあげさせ施設の撤去のために生ずる損失の軽減をはからしめるのがもつとも妥当な措置というべく、その間原告の受ける不便が極めて軽微であることはさきに説明したとおりである。これを要するに原告の本訴請求は時期的な観点からみて僅少な利益のために被告をして無用に多大な損失を余儀なくせしめるものであつて、時間的に権利行使の正当な限度を逸脱するものである。

七、以上の理由により、被告に対し本件土地の明渡を求める原告の本訴請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 池田正亮 斎藤次郎)

別紙〈省略〉

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